「自分探しの旅」は、旅立ちと同時に自分を追いつめるカウントダウンが始まる

電車が通り過ぎたあとの静寂に足をとめる

電車が通り過ぎたあとの静寂に足をとめる

生活拠点を一時的に変えることに特に目的はない。旅のようでもあり、日常生活の延長のようでもある。いつ帰るとか、どこかに行こうとか、何かやり遂げようという事もない。朝おきて洗面台に立ち、朝ごはんを食べ、仕事のようなものを済ませ、買い物に行って食事を作り、また仕事のようなものを始める。そんな風に一日が過ぎて行くだけだ。

 

規則正しく流れる時間の抑圧

もしかしたら、見知らぬ土地でただ時間の経過を眺めているだけなのかもしれない。私たちは何かを背負わされ、なぜ背負っているのか疑問に思う事もなく、どこに行こうとしているのかも分からないまま生きている。この時代に生まれた誰もが、音もなく忘れ去られてしまう流れのようなものに取り込まれている。

 

びしょ濡れの靴から見上げる雨の街

ときどき流れに逆らうように抵抗するけれど、いつのまにか流れに引き戻されていることに気がつかないまま、また時間だけが通りすぎてゆく。自分が生きてきた時間が現実だったのかさえも曖昧になり、記憶の中にある過去は自覚のないまま薄らいでゆく。

 

子供のころの自分がそこにいるような錯覚

幾つかの旅を終えて、何かを見つけたような気もするが、それはいつまでも自分の手の中に残ってはいなかった。いつしか旅することをやめた。こうして生活の拠点を変えてしばらくすると「この街もやっぱり同じなんだ」とつぶやいている自分に気がつく。多種多様ではあるけれど暮らしている人もさほど変わらない。自分と同じような人間がどこかにいて、きっと同じようなことを考えているのだろう。

 

夕暮れの焦燥感

場所を変えても自分は自分で、他の何者でもない。世界中どこを探しまわっても「自分」を見つけることなんてできやしない。旅に結果を求めてしまうと、宿題を終えないまま夏休みの終わりを迎えるようなものだ。「自分」はどこかの場所ではなく、自分の中にいるのだと見知らぬ街でふと想う。