【多拠点暮らし方ノート】黒部源流山小屋暮らし

日本とアメリカで多拠点生活をしたいと小屋暮らしを検索していたら、本物の山小屋暮らしの本に出会った。そんなときは流れにまかせて受け入れるほうがいいのだろう。

とりあえずページをめくると、水彩画のイラストにひきつけられる。ビーパルみたいなアウトドア雑誌でよく見かけるタッチで、ほんわかした気分にさせてくれる。もしかして作者の「やまとけいこ」は山と渓谷を真似たペンネームなのかなと想像したりする。もう読み始める前から楽しませてくれてる。

むかし少しだけ山登りをしていた。縦走が主で山小屋は費用的に苦しくなるので、もっぱらテントを利用していた。北アルプスを歩いていればおのずと山小屋にぶつかる。ときおり休憩したりすると独特の匂いがあって、意識的に深く息を吸い込む。つい「今日はテントじゃなくてここに泊まりたい」と弱音をはいたりする。雨に降られたりしたら、もうテントはイヤだ、もう外に出たくないと本気で思う。山小屋は登山者にとっておばあちゃん家みたいなものだ。ホテルや旅館とは別なのだ。

避難小屋だったり無人小屋だとほとんどが無料なので自由に使える。決してきれいではないが、山小屋と同じ匂いがして安心する。あの匂いって木や木炭を炊いた空間に生まれる独特な匂いだ。田舎の古い家もそうだし、登り窯とかキャンプ場の自炊場もそうだ。たとえ快適な空間ではなくても居心地のいい場所なのだ。

この本、ぜひコーヒーをいれてゆったり読み始めてほしい。やさしく語りかけるような文体がいつの間にか作者の意識と同期してしまう。イラストも夏休みの絵日記みたいに描かれてしまうと、気持ちが渓流や高原に飛んでいってしまう。もしイラストではなく、たとえきれいな写真だったとしてもこうはならないだろう。

作者は、北アルプスの奥深く吊り橋を渡った先にある薬師沢小屋で、夏の間の三ヶ月半を仕事をしながら過ごす。それが12年も続いた。街中では起きないような出来事を淡々とつづっている。ほんわかイラストについ微笑んでしまうが、けっしてのんびり山暮らしなんかじゃないし、むしろハードワークだ。そのギャップが想像力をかきたてる。

これは旅日記のようにも思える。梅干しを食べたクマとか、ヤマネがヨーグルトの中に落ちたり、意外なトイレ事情とか、ヘリコプターが頭上に飛んできたり、イワナ釣りとか、もう普段体験できないことがつまっている。もちろん山小屋で働くことは大変なことなんだけれど、いつの間にか薬師沢小屋に行きたくなる気持ちを抑えられなくなってしまう。(スタッフとしてではなくて)

どこか遠くへ行った人は、どこか遠くに行ってみたい人の旅情をかきたててくれるのだ。